志紀長吉神社以外にも、当神社宮司が兼ねてご奉仕している神社がございます。このような神社のことを「兼務社」と呼びます。志紀長吉神社では、「赤坂神社」「産土神社」「天照皇大神社」と兼ねてご奉仕しております。
兼務社の問合せ先は当神社までお願い致します。
TEL:06-6709-1757
FAX:06-6709-2083
志紀長吉神社 兼務社担当まで
兼務社の問合せ先は当神社までお願い致します。
TEL:06-6709-1757
FAX:06-6709-2083
志紀長吉神社 兼務社担当まで
赤坂神社の創建は不詳ではあるが、文献には「南北朝時代までこの地を赤坂村とよび、後醍醐天皇が鎌倉幕府を滅亡させようとした元弘3年(西暦1333年)に河内の国の武将楠木正成が後醍醐天皇に協力し河内国石川郡赤坂村(現:南河内郡千早赤阪村)にて挙兵し足利尊氏の軍勢と建武2年(西暦1335年)に戦になった際、京都にいた足利勢に河内国石川郡赤坂村と混同されることを恐れ六反村に改められたといわれている。」と記されていることより、いまから約700年以前に創建されたものと推測されます。六反村へ改名した由来は「赤坂」という文字の「赤」を縦横棒を消して「六」に、「坂」の字の土へんをとり「反」にし以前の村名を残しつつ混同されあらされることのないようにするための苦肉の策であったといえます。また、赤坂村は、もともとは赤阪村でしたが古来より掘り起こすと赤い土器が出土したことからこざとへんの「阪」よりつちへんの「坂」に改名されたといわれています。
画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
赤坂神社のご祭神
素盞鳴尊(すさのおのみこと)
ご神徳:厄除け
南北朝時代この赤坂の地に疫病が蔓延し素盞鳴尊が祓いおさえられたと伝えられています。
菅原道真公
ご神徳:学問・芸能
ご神徳:厄除け
南北朝時代この赤坂の地に疫病が蔓延し素盞鳴尊が祓いおさえられたと伝えられています。
菅原道真公
ご神徳:学問・芸能
赤坂神社の年間行事
| 1月1日 | 歳旦祭 | |
| 4月16日 | 春祭り | |
| 7月15日 | 夏祭り(お神楽) | |
| 10月16日 | 秋祭り(お神楽) | |
| 10月下旬 〜11月末日 |
七五三まいり | |
| 11月23日 | 新嘗祭 | |
| 12月25日 | 冬祭り | |
| 12月31日 | 除夜祭 | |
| 毎月1日 | 月始祭 |
交通
大阪市平野区長吉六反1-14-24
大阪市営バス「長吉六反」停留所西へ100m
大阪市営バス「長吉六反」停留所西へ100m
創建は明らかではないが、もと牛頭天王社と称し素盞鳴尊を祀った。明治5年に産土神社(うぶすなじんじゃ)と改称し村社となった。旧社殿の棟札(屋根裏の柱に取り付け後世に記録を残す板札)に天保7年上棟の記述があったが、現在の社殿は老築化により昭和61年に建て替えられたものである。
交通
大阪市平野区長吉出戸6-10-14
大阪市営地下鉄谷町線「出戸」駅を東へ800m
大阪市営地下鉄谷町線「出戸」駅を東へ800m
交通
大阪市平野区長吉出戸
大阪市営地下鉄谷町線「出戸」駅を東へ400m
大阪市営地下鉄谷町線「出戸」駅を東へ400m
この深居神社は、奈良時代の養老元年(西暦717年)の創建と伝えられ、品陀別命(ほんだわけのみこと)である応神天皇が祀られています。棟札から一間社流造りのこけら葺の本殿は、江戸前期の万治3年(1660)に建てられています。また小川に古代から中世を通じて恵我地方の総産土神である深居神社が鎮座したのも同地が東除川の水上として重要視されています。社名が「深居」と称されるのも「居」はもともと「井」よりの転化であり、濃厚に欠かせない井戸一水の神として崇められたからだといわれています。もともと深居神社は小川だけでなく、津堂や松原市内の若林・大堀・川辺(大阪市平野区)の総産土神でしたが元弘〜建武期(1331〜35)以降、現在のように小川一村の氏神となりました。この経緯もあって深居神社より分祀された若林神社・大堀八幡宮・津堂八幡宮・川辺八幡宮の祭神もおなじ品陀別命(ほんだわけのみこと)が祀られております。
交通
大阪府松原市小川町147
近鉄バス 河内天美行 「大堀町」バス停東へ
近鉄バス 河内天美行 「大堀町」バス停東へ
建武4年(西暦1337年)に深居神社から分祀され創建される。江戸時代前半に今とは比べられないほど広大な境内地が盛で囲まれています。同地に小字「若林」がある上、鎮守の森が陣取場になりやすかったく戦略的拠点に適していることから、戦の際神社付近に陣取をし戦略拠点にする武将も多かったようです。
交通
大阪府松原市若林町608
近鉄バス 河内天美行 「大堀町」バス停東へ
近鉄バス 河内天美行 「大堀町」バス停東へ
建武4年(西暦1337年)に深居神社より分祀され創建される。当時、大和川を往来し年貢米や商品作物や肥料を運搬されていましたが、新大和川は推進が浅くとくに狭山池から流れてきた宮側の落堀川・東除川の合流地点が浅く水夫が川床を掘って船を動かしていたようです。そんな剣先船の運行安全や村中安全を祈念し創建されたとされています。
交通
大阪府松原市大堀町4丁目494
近鉄バス 河内天美行 「大堀町」バス停北へ200m
近鉄バス 河内天美行 「大堀町」バス停北へ200m



